日本の健康寿命は、2018年にはシンガポールに次ぐ世界第2位となっていましたが、2024年にはまた1位となっています。
安全面は少し下降ぎみながら、「世界平和指数ランキング」(IEP経済平和研究所調べ、2023年)はいまだ9位と1桁台をキープ。
平和で、比較的健康で長生きできる国。それなのに幸福度ランキングは50位前後と、かなり低くなっている日本。
その根本原因について、葬祭カウンセラー的に分析・考察してみます。
健康寿命と平均寿命の違いとは?
あれ? 日本人の平均寿命ってずっと世界1位じゃなかったっけ?
と思ったあなた。とてもよく統計を気にかけていらっしゃると思います。
日本がずっと1位なのは、「平均寿命」。
いっとき2位に転落したのは、「健康寿命」。つまり、「健康的かつ活動的に暮らせる期間」なのです。
平均寿命と健康寿命の差にあたる期間は、日本人男性の場合だいたい9年前後、日本人女性はおよそ12年で推移しています。
これは、「延命期間」とか「不健康期間」と呼ばれ、日常生活になんらかの支障をきたしている期間を指しますので、少ないにこしたことがありません。
この〝差の期間の長さ〟に関して日本は、2019年で40位前後。近年は少し持ち直して2023年時点では、33位です。
あ。もしかしたらこの順位が、幸福度に影響しているの?
そう思われたかたも、いらっしゃると思います。
ところが、この「平均寿命-健康寿命」の期間は、当然ながら平均寿命が短い国のほうが短くなりやすい傾向にあるので(※)、平均寿命が一番長い日本の場合、この差がワースト1位でもおかしくないとも考えらるのです。それが30~40位台でとどまっているのは、昨今の健康法ブームなどで国民全体が努力している結果ともいえます。
また、ほどんどの国が10年前後という僅差であり、平均寿命が長い国のなかだけでみると、日本はどちらかといえば短いほうなのだそうです。
※極端な話、平均寿命が20年なのに健康寿命が10年だったら人生の半分が不健康ということになってしまいます。終末期の約何%が不健康であるという観点でみると、わかりやすいと思います
コロナ蔓延防止の時期に、なぜか幸福度が40位台に回復したという事実
平均寿命も健康寿命も長く、わりあい平和であるのに、世界幸福度ランキングでは40~60位の間をウロチョロしてきた日本。
不健康期間の長さがさして深刻ではないとすると、日本の幸福度を下げてしまっている要因はいったい何なのでしょうか?
注目の数値があります。
過去数年の世界幸福度ランキングの推移をみると、コロナ蔓延防止の時期に、日本の幸福度は徐々に順位を回復し、2023年には47位とひさびさの40番台をマークしているのです。
経済的には苦しかったうえに、いつ外出自粛が終わるのかもわからない先行き不透明な状態で、不安感が充満していたにもかかわらず、です。
ところが、コロナが5類となり、テレワークも終わりを迎え、ふたたび満員電車に乗り始める人が増えた2024年には、また51位へ転落。
このあたりに、日本の幸福度を下げている主要因が見え隠れしています。
コロナ蔓延の閉塞感を上回るほどに、近年の日本社会は窮屈すぎたのか⁉
なぜ、コロナ蔓延防止のなかで順位が向上したのでしょう?
当時は、世界じゅうどこの国も不安感でいっぱいだったはず。絶対的な幸福度は、もちろん日本でも下がっていたはずです。
しかし諸外国の下がり具合と較べると落差が少なかったため、順位が向上したのだと考えられます。
コロナ蔓延防止のなかで思い当たる、幸福度が向上するようなこととといえば……
🔶日本の幸福度が向上する要因(コロナ蔓延防止期間中)
- 満員電車に乗ることがなくなった
- 店先で長蛇の列に並ぶこともなくなった
- テレワークで上司や同僚との競い合いが少なくなった
- テレワークで、自宅で仕事をしながら好きなときにお茶を飲んだり、間食したりできるようになった
- テレワークで、子どもと過ごせる時間が増えた
- 「熱がある」と言えば、学校や仕事を気がねなく休めるようになった
このように列挙してみると、それまでの日本社会がいかに窮屈だったのかがわかるような気がしてきます。
🔶日本の幸福度が低下する要因
- 周囲の目を気にし、多少具合が悪くても仕事や学校を休みづらい
- 家族とゆっくり昼食や夕食をとることが、ほとんどできない
- 休日にやっと家族で食事に出かけても、レストランも駐車場も長蛇の列
- 一日出かけると、気持ちは多少リフレッシュするものの、身体はドッと疲れてしまう
コロナが5類となって、このような状況が戻りつつある2024年。
コロナ前の日常に戻っていったのはどこの国も一緒なのですから、諸外国と比べて幸福度の順位が下がってしまったということは、こうした〝ふだんの社会生活の窮屈さ〟がわたしたちを疲弊させ、幸福度を下げている、ということなのでしょう。
衰退しゆくこの国で、私たちは何をめざし、どう行動していくべきなのか
2024年になって幸福度が下がったもうひとつの要因は、2022年来の円安が止まらないことだとも考えられます。
これを書いているのは2024年のゴールデンウィーク中(2024年5月3日現在)。
以前でしたら、GW中は皆さんが帰省したり海外へ旅行したりするので、首都圏の列車はガラガラになっていたはずです。
しかし円安で予算がふくれあがり、海外旅行へ行く人が激減(※)。逆に、東京は世界の代表的な観光都市40のなかで4番目に滞在費用が安い国となってしまい、海外からの旅行客は激増。今日も、夕方以降の列車は座れないほどの混雑でした。
※2024年のGWに海外渡航する人は、データ出所のわからない記事ではコロナ前の9割まで戻るとの予想報道もありましたが、HISの自社データではコロナ前の53.3%で「回復には至らず」と報告されていました。
数年来の円安のため、日本側は技能実習生を歓迎していても、すでにアジア諸国の皆さんの好む働き先はタイやシンガポールなど、日本よりも給与水準の高い国へと移ってしまっています。
ここで、「経済的に苦しく閉塞感に充ちていたころ、日本は諸外国と較べたらさして幸福度が落ちなかった」ということを、よくよく心に刻んで、思い起こしていただきたいのです。その理由を、もう少し考えてみます。
- 耐えること=美徳と思いがちな国民性
- 売上の厳しい業界に協力金や支援金が配られたので、格差が少し縮まった
- 裕福な層も外出制限は庶民と一緒。旅行や娯楽に散財できず、〝みんなで耐えている〟という一体感
このような感覚が国民全体にあふれ、諸外国よりも幸福度の下がり幅が小さくすんだのではないでしょうか。
2番と3番は、当時、飲食店の協力金申請や自営業の皆さんの持続化給付金、あるいは法人向け家賃補助などさまざまな行政支援手続きの申請に携わってきた、筆者の行政書士としての体感です。
1番については、脳科学者の中野信子さんが「日本人は遺伝的に、セロトニントランスポーターが少ない人が7割もいる」ということから説明しています。セロトニンは幸せホルモンとも呼ばれ、苦境をもプラスに転換する力につながる物質。それを運んでくれるトランスポーターが少ない人が多数派。日本社会は「他人からどう見られているのか?」を気にする人が多く、同調圧力が強くなりがちなのだと、中野さんは『努力不要論』などで述べています。
耐えるを美徳とする遺伝子のまま「自主性」や「個性」が重視されると、有能な人にシワヨセがいく。
耐えるを美徳と思ってしまう国民性について、昨今はよい面よりも弊害のほうがしばしば指摘されてきました。
「ガマンしないで、言いたいことは言える自主性を」
「個性の時代。人と違っていても、堂々と主張しよう」
といったスローガンがしばしば聞かれるようになり、「耐えることをヨシとするのは時代遅れ。いまはそんな時代じゃない」という気運になりました。そして、平時においては、耐えることを美徳と考えない人が増えました。
そのおかげで「自主性」と「個性」が尊重され、興味のわかないことはやらずに、時代に合う新しい発想でワクワクするような挑戦や発明がおこなわれてきたのでしょうか? それなら、日本社会が経済的にこれほど低迷するはずがありません。
「自主性」「個性」は伝統の型を捨てるところに活用され、遺伝子による反動で同調圧力が倍化?
学校社会や企業社会においては、むしろ同調圧力が増し、スクールカーストという言葉も生まれ、自主性を犠牲にして大勢に合わせることのできる人がカースト上位にいるような流れができています。
「自主性」「個性」が叫ばれる社会いなったのに、どうしてなのでしょう?
もしかして、「耐えるのが美徳」というのが遺伝子レベルの話だから、どこかで耐えていないと安心できないっていうこと?
中野信子さんの話をベースに考えるならば、どうやらそのように思えてきます。
そのため職場や学校では、ほんとうに個性を尊重できる人たちが「私さえガマンすれば……」と多くの負担に耐え続ける結果となり、そこからメンタルヘルスに支障をきたす人が増え、ブラック労働などさまざまな問題がひき起こされているのではないでしょうか。
私は葬祭カウンセラーなので、この50年あまりの葬儀の変遷をふりかえってみました。
するとどうも、「自主性」「個性」を尊重するパワーは、伝統儀礼を捨てるところにだけ浪費されてしまったのではないか、と思えてきたのです。
故人をよく知る人たちが集って夜を通して思い出を語らう葬儀から、企業社会中心の世のなかになり、葬儀の中心は、幼いころから故人を知る人たちより会社の同僚や先輩後輩になりました。
故人を偲ぶというよりは社交辞令で葬儀に出席する人も増え、儀礼はどんどん簡略化されてきました(七日ごとの法要が省かれたり、初七日法要が通夜葬儀に組み込まれたり)。
さらには、義理で来る人を排除して家族だけでこころをこめて送ろうという「家族葬」が普及。高齢化で70代の子息が90代の父母を送るようなケースが増え、喪主もすでに社会的なつながりを失っていることから、火葬場へ直接ご遺体を持ち込む「直葬」も、都市部を中心に増えました。
気づけば、
「葬式にお金はかけたくない」
「葬儀にお坊さんは呼ばなくていい」
「直葬して海洋散骨するから、葬儀もしなくていい」
などという声も聞こえてくるようになりました。
Googleトレンドで「直葬」「家族葬」という言葉がいつごろから検索されているのかを調べてみると、2005年ごろからです。わずか20年の間に、ものすごい勢いで葬儀の形式は変遷し、もう30年ほど前のやりかたを憶えている人がいないくらいに、激変してしまったのです。
私には、叫ばれた「自主性、個性の尊重」が伝統儀礼を脱ぎ捨てるところに使われ、ものすごいパワーで慣習がうしなわれてきたように思えます。
逆に、いまの社会でなにを実践していくのかというところには「自主性、個性の尊重」が活用されておらず、むしろ「耐えることが美徳、耐えていないと不安」になる遺伝子の欲求が、自己を犠牲にして周囲に合わせる風潮を生み、同調圧力の強い社会をつくりあげてきたかのように見えます。
真の自主性を発揮して果敢に努力をしたり、大勢からはじかれた誰かのために尽力できる人。社会をよい方向へ向かわせることのできる人材が、ドロップアウトして精神科のお世話になっている状況。
これでは、経済も復調するはずがありません。結果、幸福度は50位前後ということになります。
〝耐える〟のではなく〝苦をプラスに転換〟する、仏教的発想の転換をもういちど
いっぽう、コロナによるパンデミックは、「従来通りのことだけしていれば左ウチワ(=労せずして稼げる)」と不労所得で楽をしていた人たちを駆逐し、「時代に合わせた工夫や努力をしなければ、生き残れない」という流れを呼び起こしました。
多くの飲食店はタッチパネルで注文できるようになり、ターミナル駅にはテレワークスポットができ、登記のできるコワーキングスペースも増えて気軽に起業できるようになりました。
ただ耐えているだけでなく、思いもよらなかった苦境をバネにして発想の転換をしたり、新たな挑戦を果敢にしていった人たちが報われていくきざしが、少しだけ見えています。
一切皆苦の世のなかで、発想の転換で〝苦と感じなくなる〟のが仏教の本質
中野信子さんは、セロトニントランスポーターが多い人と少ない人の違いを、コップに半分水が入っている場合にどう感じるのかで説明しています。
- 「まだ半分ある」と思えるのは、セロトニントラスポーターが多めの、不安遺伝子が少ない人。
- セロトニントランスポーターが少なめで、不安遺伝子の多い人は、「もう半分しかない」と思ってしまう。
前者は楽観的。いっぽう後者も、悪いことばかりではありません。心配だから、「努力をしなければ」と考えるので、勉強熱心だったり努力家だったりします。
しかし、「自主性」「個性」という言葉がひとり歩きしたかのように、日本民族が長年大事にしてきた慣習が捨てられ、死別という人生の一大事にさいして、親族や大切な人を「どのように送れば、世間さま並みにできているのか」がわからなくなり、亡き人にたいして「じゅうぶんに弔うことができているのかどうか」もわからなくなり、先に亡くなった縁のある人から〝見守られている〟という感覚も持つことができなくなり、死別したことをしっかりと納得することもできないまま葬儀を終え、日常のすべてが不安に覆われてゆく……。
いっぽうで日常社会においては、まるで反動のように同調圧力が増し、前の時代以上に「自主性」「個性」を発揮しづらくなってしまっている――。幸福度50位前後の、安全で平和な国、日本。
仏教でめざすところは、「1」「2」のどちらでもありません。
「あぁ、いまグラスに半分水が入っているな」
と、事実を事実として、そのままにとらえます。
多いからイイ、少ないからどうしよう、といった評価はしません。
この「1」でも「2」でもない感じかたを磨くことで、ひとりひとりのほんとうの自主性、ほんとうの個性が発揮され、日本経済がふたたび潤ってゆくことを祈念します。
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