「あなたが残すご飯で、アフリカの子どもたちが救われます」
小学生のとき、ユニセフがこんなテレビCMを流していました。少食だった私は、むせそうになりながらも、無理して最後のひと口まで食べざるをえなかったおぼえがあります。
それから30年がたち、自分の子どもたちが小学生だったころ。ごはんを残す彼らに同じことを言ったところ、
「ここは、日本です」
と返されました。育てかたが悪かったのか? と愕然としましたが、ママ友達に聞くと「ウチもそう」という声が多かったんです。
この「ここは、日本です」と答えた子どもたちは、ちょうど〝Z世代〟と呼ばれる年代です。
そう答えたことについての分析は別の機会に譲りますが、比較的しっかりとしつけをしてていたであろうよそのご家庭でもみんながそのように答えていたということは、育てかたが悪かったのではなく、また彼らが傲慢だったのでもないようです。
「1970年代の日本の子どもたちは、2000年代の子たちよりもずっと、夢や希望にみちあふれていた」、つまり2000年代の小学生は閉塞する日本社会をきちんと肌で感じていて、「遠いアフリカの国のことどころじゃない!」という気持ちだったのかもしれません。
生まれた時代の社会背景が違うと、同じように育っても、考えかたや意見はまったく異なる、というお話です。
そこから類推すると、これほど多くの人が精神の不調をうったえ、メンタルクリニックはどこも予約が一杯という状況についても、世代的なシワヨセというか、時代の影響もあるのではないか? と、古溪僧侶と仏教系FPのオケイが考えてみました。
いまの日本て、戦後に価値観ぐちゃぐちゃになって「ちゃんとしなきゃあ!」みたいな僕の祖父母世代に、厳しく育てられた人たちがつくりあげてるでしょう?
厳しめの価値観と、経済成長が終わった頃からの「自由でいい」的な価値観がごちゃ混ぜになって、〝何が正しいの?〟が、わかりづらくなっている感じはあるよね。
戦争で価値観ゼロになった、いまの70代後半〜80代以上
日本は、敗戦によって価値観が一変しました。特に、いまの70歳代後半から80歳代以上の人々は、子ども時代に戦後の価値観激変の影響をダイレクトに受けています。
彼らは、戦前の価値観が一夜にして崩壊し、新しい価値観を受け入れざるを得なかった経験をしました。
戦前はカタカナ(外来語)を使うことも禁じられ、「天皇陛下=神」と教えられていたのに、戦後は天皇陛下の人間宣言によって、宗とする教えが崩れ、戦後はさまざまな新宗教も出現したそうです。このような急激な変化は、当然ながら一般市民の精神に多大な影響をおよぼしたことでしょう。
また戦後の混乱期には、食糧不足やインフラの破壊など、日常生活にも困難がありました。終戦直後の1946年には、物資不足による激しいインフレーションを抑制するため、預金封鎖が行われました。このときの預金封鎖は、引き出しが完全にできなくなるのではなく、引き出し通貨量の制限がかけられたり、給与の一部を強制的に預金させられるなど、金銭の利用条件が設けられるというものでした。
敗戦ショックのなかでのこの預金封鎖は、戦後の日本人に貯蓄信仰や、勤勉にお金を貯め込む癖を定着させたとも考えられます。
【これだけ政府を挙げて「投資」を勧めても、日本人は貯蓄が大好き】
自国ファースト、アジアの兄貴分として突っ走った末に敗戦
そもそもどうして日本は、米英を相手に戦争をしかけてしまったんだろう?
ペリーが黒船でやってきて、ビビって開国。あっという間に議会制度や法律を整え、近代化の仲間入りをしたんだよね(王政復古ではありつつ、民主制という摩訶不思議)。
日清戦争、日露戦争に勝ってしまって、第一次大戦でも運よく連合国側にいたから、負ける気がしなくなっていたという……。
だけど実際は、清国は漢民族の国ではないから一枚岩でなかったし、ロシアも大国だけれど、まだ議会もなく時代遅れな状況にあったみたい。日本の軍隊が強かったというより、相手国の統制に問題があっただけ。明治維新から日清、日露戦争までのことは、こちらのウェブサイトがわかりやすいよ。
太平洋戦争については、能天気にイケイケだったというわけじゃなく、アメリカが太平洋の島々をどんどん占拠して、沖縄から本州にまで入り込もうとしているっていう懸念から、「やらなければ攻め込まれる」という焦りが先に立ったとは言われている。
明治維新で開国したあと、欧米列強に追いつけとものすごい勢いで議会や法律を整え、近代化の努力をした日本。日清戦争、日露戦争での勝利を経て、アジアのリーダーとしての地位を確立しようとしました。
じっさい、清国は言語もバラバラで統制がとれておらず、傭兵の集まりのような感じだったから勝てたようです。日露戦争はロシアと敵対していたイギリスの助力もあり、ロシア国内でロマノフ王朝への不満が高まっていたことなども影響して、からがら勝てたもの。しかし、そうした分析は何十年もあとの歴史家がしたものなので、当時としては〝勝てるつもりで〟真珠湾攻撃をしかけたのでしょう。
維新から自国ファーストで勢いに乗ってきたけど、太平洋戦争で頓挫した。でも、どうして占領されなかったんだろう?
マッカーサー元帥のお父さんは軍人だったけれど、日本神道の研究家でもあったらしい。それで、日本語のもつ言霊の力をなくしてはいけないからと、英語を公用語にはさせなかったみたいですよ。
第二次世界大戦(日本は太平洋戦争から参戦)での大敗により、アジアの親分になりそこねた日本。この歴史的背景が、現在の日本人のメンタリティにどのような影響を与えているのでしょうか。
戦前の日本は「大東亜共栄圏」というスローガンのもと、アジアを欧米列強による支配から解放するという目的を掲げていました。
戦後は植民地化はされなかったものの、アメリカの占領下に置かれ、アメリカの価値観を受け入れることを余儀なくされました。このような歴史的な転換は、現在の日本人の自己認識や国際関係に大きな影響を及ぼしています。戦後世代に育てられた私は昭和のころ、外国人はかっこよく、日本人はあまりかっこよくない。外国の音楽や文化はスマートで、日本の文化はおどろおどろしい、と教えられてきたような気がします。
「八紘一宇(世界は家族)」から「個の時代」へ
戦争に負けたのに、戦後の日本は、きのうまで敵国だったアメリカのことが大好き。不思議といえば不思議じゃないですか?
戦時中は「八紘一宇」のスローガンで一枚岩になってたように言われるけれど、言論の自由もないし、庶民はけして、フーセン爆弾や特攻隊に賛同してたはずもなく。
敗戦とともに、いままでカタカナもなんも禁止されてたのが解けると、一気に「日本カッコ悪い、欧米バンザイ」になっていったのかも。
私の親世代(戦後にまだ10代だった人たち)にとっては、足が長くて鼻も高い欧米人はカッコいい。自分たちは劣った猿、みたいな感覚で、戦後は急速にアメリカナイズされていったみたい。
戦前の日本は「神国」としての誇りを持っていましたが、戦後はアメリカの影響を強く受けることになりました。教科書の神話部分が墨消しされ、「ギブミー・チョコレート!」と進駐軍のトラックを追いかける子どもたちの姿は、価値観の大転換を象徴しています。戦前は「八紘一宇」というスローガンのもと、世界を一つの家族と見なす考え方が広まっていましたが、戦後は「民主主義」や「自由」といったアメリカの価値観がどんどんとりいれられ、「個の時代」と言われるようになりました。
翼の折れた戦後チルドレン ~彼らはどうして「迷惑をかけたくない」と言うのか?~
敗戦直後の子どもたちを、ここでは〝戦後チルドレン〟としておきましょう。ふるたに僧侶の祖父母世代であり、オケイの親世代に当たります。
さて、戦後チルドレンは成長して大人になり、高度経済成長期には「毎月、給料が倍々に増える」ような好景気と、市場にどんどん新製品があふれていく夢のような時代をすごし、「努力すれば報われる」という希望を持ちました。ところが、彼らが子育てを終えようとするころ、プラザ合意からのバブル崩壊。その後の経済停滞期になると、日本は〝喪われた二十年〟といわれる「努力しても報われない」時代に突入しました。
戦後チルドレンが現役を退きはじめるころ、急に彼らの価値観は通用しなくなりました。そして今、彼らは高齢期を迎えています。
彼らの常套句は、「迷惑をかけたくない」――子どもや甥姪など下の世代の人たちに、自分の死後事務で迷惑をかけたくないというのです。
戦後史をちょこっとだけふりかえってみるだけで、いまの高齢世代がどうして「迷惑をかけたくない」って口をそろえておっしゃるのかが、浮き彫りになってくるよね。
自分たちの価値観で子育てをしたら、子どもたちが社会に出るころにはその価値観が通用しなくなっていた……それはもう、「ゴメン!」でしかないですね;;
だから、「迷惑かけたくない」なのか。高度経済成長を支えてきたっていう自負があるから、全体的にその世代の人たちは気が強い、というのもあると思うけれど。
三島由紀夫『不道徳教育講座』から見る戦後の偽善
1959年に週刊誌で連載された三島由紀夫の『不道徳教育講座』(単行本になっています)では、戦後の日本社会の偽善が指摘されています。この本のなかで三島由紀夫は、「日本人が今、日本古来の道徳感だと信じているものは、ほとんどは東京都衛生局が作り出した観念に過ぎません」と述べています。ちょうどこのころ、学校でも「道徳」という科目が教えられるようになったようです。
家族が昼間は町にいなくなり、〝会社〟へ働きに出て、土日は行楽で疲れ果てるようになり、家庭教育のなかで道徳倫理を教えることが難しくなったのでしょう。加えて戦後は二世代戸籍になったため、結婚すれば親とは世帯を分けるのが当たり前のようになり、大家族も激減したので、祖父母が倫理を伝えるということもなくなりました。
いや、大家族が健在だったとしても、この当時の祖父母たち(戦後チルドレンの親たち)は戦中世代なので、敗戦と同時に倫理観もなにも破壊されています。戦前の価値観がそのまま伝わった、という可能性はうすいと考えられます。
つまり私たち日本人の精神構造は、敗戦を機に伝統的大家族的価値観から大きく切り離されて、現在にいたっているのです。
子や孫に仏壇を守ることを押しつけることもなく、ひとりひっそりとお仏壇に供え物をし、神棚をまつりつづけていた祖父母のうしろ姿が、うっすらと目に浮かびます。
ウチはお寺だから、いまだにお仏飯は捧げますけれど。一般家庭だと、そうなのか……
そういえば先日、「子どものころはゴミをみんな川へ捨てていた」って話を聞いたんだよね。今からすると考えられないことだけれど、プラスチック製品があふれる前は、ゴミをじゃんじゃん川へ捨てても分解されて環境に還るだけだったから、問題なかったんだね。
ウチのあたりは東京でも辺境のほうだから、いまだに八百屋さんの店先でポリバケツに入れた漬物を売ってたりする。コロナ蔓延後のいまとなっては衛生的にどうなの?と思うけれど、知り合いのお坊さんがXに上げてるインドの露店商の風景と変わらない^^;
こういうことも、昔は環境にも害はないし当たり前に行われていたけれど、時代の変遷とともに〝非常識〟になっていくよね。
もしかすると「日本人が礼儀正しい」というのも案外、最近のことなのかもしれない。
経済成長を支えた戦後チルドレンが「やればできる!」とスパルタ式で子ども世代をしつけたりしたことで、礼儀正しそうな日本人ができあがった。それを海外の人が見てビックリする、という情報があふれて、「日本人はDNAが違う」とか「昔から礼儀正しい」という幻想になっているのかも。
たしかに。戦国時代の民衆が、そんなに礼儀正しかったとも思えない^^;
倫理なんてものが出始めたのも、儒教の影響で家父長制になってからなのかも。
それも幕末なんかには崩れていたんだろうし、倫理意識も株価と同じくらい、時代の流れで大きく乱高下するものなのかも。
あなたは悪くない⁉ 生きがいが見つからないのも、どう生きるのが正解なのかがわからないのも、敗戦の爪痕
そもそも、「どう生きるべきか?」ということは、村落社会なら代々の長老が伝え、村長が伝え、村の親たちが子どもたちに伝えていたことだと思います。
社会が複雑になり、〝村の掟〟のような誰にでもわかる決まりだけでなく、何千何百もの法律やガイドラインに縛られて生活をしていると、人として最低限〝これだけは守らねば〟というものが見えなくなってしまいます。
そのように倫理の根幹を喪ったまま複雑化した社会では、さまざまな問題が浮上します。
私の世代からみると、むしろ最近は昭和の頃より倫理意識は低下しているようにみえる。子どもの頃は、「ふつうの大人はズルをしない」と信じられたけれど、コロナ蔓延防止期間中の協力金詐欺(行政が決めた閉店時間を過ぎても隠れて営業しているのに、協力金をもらうこと)なんて、そこらへんで商売しているふつうの大人たち、悪人にはとうてい見えないような人たちが、平気でおこなってた。
しかも、「個の時代」とか「人それぞれの立場」みたいなことが強調されすぎて、それをダメだと咎めるのも角が立つように思われてしまっている(私は、見つけ次第当局へチクりましたが)。
食品表示の偽装事件なんていうのも、昭和の頃にはありえなかったと思う。
インターネット販売の普及で、つくり手と顧客が出会うことなく商売されるので、誇大広告や虚偽表示はあふれかえっているよね。
「見えなければ、なにをしてもいい」っていう人が増えてしまったのは、仏壇や神棚をまつる家が減って、「どう生きるべきか?」という教えが伝わりにくくなっていることとも、ストレートに関係してますね! 昔はもっと、誰も見ていなくても倒れた自転車は直すし、ゴミも拾う大人が多かったんじゃないかと。
封建的な厳しいしきたりのすべてが善だとは思いませんが、戦後チルドレンの翼が折れたあたりで、われわれ日本人の精神の根幹に、一本筋の通ったところがなくなってしまった、ということが類推されます。
さて、冒頭の課題:「これほど多くの人が精神の不調をうったえ、メンタルクリニックはどこも予約が一杯という状況についても、世代的なシワヨセというか、時代の影響もあるのではないか? 」にたちかえってみましょう。
もう答えは出ていますね!
「どう生きるべきか?」という指針が、家族の間でも町のなかでも学校でも語られることがなく、学校では答えのある問題をおぼえて、アウトプットする練習ばかり。
戦後チルドレンの翼が折れ、戦後チルドレンから「やればできる!」とスパルタされてきたわれわれバブル世代が目的喪失になり(努力しても経済復調しない時代になったので、当然です)、いまだ家庭にも学校にも町にもどこにも、「なぜ生きる?」「どう生きるべき?」を語ってくれる人はいません。
そのため、一億総目的喪失になっているのです。
縁空的解説:敵国とも仲良し
日本は敗戦国でありながら、アメリカと良好な関係を築いています。これには、仏教的な価値観や、それ以前からの八百万の神信仰が影響しているのかもしれません。
仏教の教えには「和を以て貴しとなす」という考え方があります。日露戦争でバルチック艦隊を駆逐した東郷平八郎は、負傷した敵国の将軍や捕虜を手厚く介抱し、敵をも尊ぶ精神で接したというエピソードが残っています。
また仏教伝来前からの日本の信仰は、あらゆるモノには魂が宿るから大事にすべきという考えで、人工物でも長く使うものには魂(ツクモガミ)が宿ると考えられていました。人もモノも、敵であろうと古いものであろうと大事にする――そうした寛大な精神は、川へゴミを廃棄していたころからあったといえるでしょう。
結論:仏教的視点の転換で乗り切ろう!
経済成長期の著名な経営者たちは、仏教の教えを取り入れていました。例えば、松下幸之助や稲盛和夫といった経営者たちは、仏教の教えを経営に取り入れることで飛躍的な成功をおさめました。
混迷した令和の時代にも、仏教的な視点の転換で乗り切ることができることは、あるのではないでしょうか。