あの世を信じていないのに、手を合わせずにはいられない。あなたが矛盾した行為をしてしまう理由
- 2025/06/10
死んだら何もなくなる。だから、葬儀にカネをかけるなんて馬鹿げている?
葬祭カウンセラーとして葬儀の生前契約などの相談に応じていると、
あの世なんてない。死んだら何もかもなくなるんだから、葬式にカネをかけるなんて馬鹿げている
という声を、しばしば耳にします。
しかし、縁者の葬式に列席する経験は、なにものにも代えがたい価値あるものです。こちらのコラムでも書きましたが、人は、ゴールテープが見えない野原で全速力を出して走れと言われても、なにをめざして走ったらよいのかわからず、集中して能力を発揮することなどできないのです。
よく見知った人の終焉に立ちあい、いつか自分にも終わりの日が来るということを再確認する経験は、人生のゴールテープを見据えることにほかなりません。葬儀に立ちあい、先に逝った友人知人を悼む回数が多ければ多いほど、人生は濃密になるのだともいえます。
葬儀を簡単に済ませる=恩を返さず無礼に立ち去ること
いつか自分にも人生の終わりがやってくることを、人は誰しも知識としては理解しています。しかし、使命感をもって瞬間瞬間に全力投球して夢に向かい続けることのできる人はほんのひと握りです。
友人知人や親族の葬儀に列席することは、「いつか自分の人生にも終わりがやって来る」ということを再確認し、「そのときまでどのように生きるべきか?」を考える端緒となり、ひいてはゴールをみすえて全速力で走るための契機ともなりうる、大切な機会なのです。
自分の葬儀をどのようにすべきか? を考える場合。あなた自身はすでに棺のなかにいて何も感じることができないのですから、お金をかけてもなんの見返りもないと感じるかもしれません。しかし、お子さんがいようといまいと、あなたの訃報を聞いて線香の一本もあげたい、せめて手を合わせたいと思う人がひとりもいないでしょうか?
ご自身の葬儀を「できるだけ安く」、「直葬で焼却するだけでいい」と決めてしまうことは、これまで顔と名前がわかる程度にあなたとつきあいがあり、言葉を交わしてきた人たちから、人生を色濃くするチャンスを奪うことにつながるのです。
それはすなわち、先に逝く先達として、今生で関わりのあった人たちへ人生最後の恩返しをすべき機会を自らなくし、無礼に立ち去ることにほかなりません。
あの世があろうとなかろうと、関係したすべての人が、あなたとの記憶を整理せずにはいられない
あの世があろうと、なかろうと。
心肺停止後に魂があろうと、なかろうと。
遺された人々に記憶がある限り、かれらはあなたの死を知ればショックを受けます。
あなたと交わした言葉の記憶をなんとかして「もう二度と訪れないこと」として噛みしめ、日々の苦楽もいつかわ終わるときが来るということを改めてこころに刻み、漫然と生きてきた気持ちを引き締め直すことでしょう。今生で多少なりとも縁のあった人たちに与えることのできたこのような機会を踏みにじり、黙っていなくなってゆくことは、はたして合理的なのでしょうか。
見知った誰かの死に際し、何もせずにいられますか?
こんどは逆の立場から考えてみましょう。
あなたが日々生活のなかですれ違い、ときには二言三言会話もしてきたのに、明日以降二度と会うことがなくなり、数週間ののち風の便りに亡くなったことを知らされたとき、多少なりともショックを受ける相手はいませんか?
趣味でしている習いごとの指導者やその仲間。月に一度のバスツアーを申し込みに行く窓口の係員。毎日買い物に行くコンビニエンスストアのレジ係……。相手にとっては職業上ふれあう幾多の人のひとりにすぎないかもしれませんが、あなたにとっては多少なりとも慣れ親しんだ相手であり、「できることなら、変わらずそこにいてほしい人」くらいになっているかもしれません。
顔を見知り、慣れ親しみ、ときには言葉を交わし、「できることなら変わらずそこにいてほしい相手」というのは、ある日突然いなくなったならば「せめて手を合わせるくらいはしたい相手」といえるのではないでしょうか。あるいは、地域の会合などでいつも顔を合わせる気の合わない誰かのように、犬猿の仲の相手だったとしても、亡くなったと聞けば「線香くらいはあげたい」と考える相手だって、いるかもしれません。
死者の御魂やあの世を信じない人ほど、無に帰すことが怖くなる矛盾
あなたはなぜ、見知った人の死を知ると、線香をあげたり、手を合わせたりしたいと感じるのでしょうか。きっと、「そのようにしたら少しは気持ちが落ち着く」と考えるからですよね。
なぜ、線香をあげると落ち着くのですか?
なぜ、手を合わせなければ居たたまれなくなるのでしょう?
御魂になったその人に、やすらかにいてほしいと願うからですよね?
いや失礼。あなたは〝あの世〟も〝御魂〟も実体がない、という考えをお持ちなのでした。
では知人の御魂を鎮めたいという気持ちもないのに、なぜ手を合わせ、線香をあげるのでしょう?
それはおそらく、ご自身の気持ちを落ち着かせるためですよね。
かつて言葉を交わした相手がまったくの〝無〟になってしまったという事実を、衝撃なく受けとめることができないから、ご自身を鎮めるために線香を焚き、手を合わせることで落ち着こうとなさるのだと思います。
あれ?
どこかで目的と行為がすり替わっていませんか。
その衝撃をなんとかするための、合理的な発明品が〝あの世〟
葬儀式で線香をなぜ焚くかといえば、かつては死臭を緩和するためでした。いまはドライアイスがあるので死臭が漂うことはありません。
仏典が書き残される頃になると、〝香喰(こうじき)〟といって、「死者は香りのみを食することができる」と経典に書かれるようになりました(倶舎論)。この考えは明らかに、死者の御魂が〝あの世〟に存在していて、その御魂に食べさせるというイメージだといえます。
死臭漂う時代でもなく、死者が香りを食するなどという馬鹿げたことは起こらないと考えているはずのあなたがなぜ、線香を焚くと落ち着くような気がしてしまうのでしょう。
もしかすると幼いころ、なにか大変なことが起こりそうになるたび仏壇に向かって手を合わせ、線香を焚いてなにかをしきりに語りかけていた祖父母の背中や、その行為がすんだあと多少なりともスッキリした彼らの表情などが記憶のどこか、あるいは潜在意識の奥底に眠っていたからなのかもしれませんね。
DNAが何十世代もあなたの祖先をたどる間、繰り返されてきた供養の歴史。弔いの行為。それらはあなたの潜在意識の奥底に刻まれ、予想外の事態や非日常的な衝撃を処理しなければならないとっさの場合に、自然とあなたを守るのです。その瞬間、「あの世なんて、ない!」と思い込んでいたはずのあなたの理性は、潜在意識によって裏返されます。
いつか、死が訪れるということ。あの世というものがあり、肉体は滅びても魂は漂い続けていられるということにすれば、死の衝撃をある程度は緩和することができます。
そうです。〝あの世〟は、古代の賢人たちの発明品だったのだと思います。
身近な人の死を知るとわれわれは、「自分もいつかそうなる」という衝撃に耐えかねてしまう。
そのうえ想像力と記憶力がメンタルの忍耐を超えるほど豊かなため、その死の衝撃を何日たっても忘れ去ることができず、また何十年も先にしか来ない「自らの死」についてもついつい想像してしまって目の前の仕事も手につかなくなってしまう。そんなどうしようもない性分のわたしたち。
そのわれわれが、身近な人の死に際してもなんとか逸早く落ち着く状態になれるようにと、賢い先人たちが〝あの世〟というものがあるということにし、亡くなった人々は肉体が滅びるだけで、御魂はちゃんと存在していて、無にはなっていないよ、という壮大なストーリーを考えついてくれたのだと思います。
「マンダラぬりえ」などでも有名な宗教学者の正木晃先生も、ある著書のはしがきで、次のように述べています。
いまを去ること何万年も前、人類は霊魂の存在を意識しはじめたことで、新たな発展段階に入ったのではないでしょうか。たとえば、家族集団をひきいてきた優秀な家長が死んだとします。のこされた人々は不安の極にあったはずです。そのとき、鋭い感性と優れた頭脳をもった誰かが、苦悩の末に、こういうおもいにたどりついたのかもしれません。じつは死後の世界があり、そこには亡くなった家長の霊魂がいて、いまも自分たちを見守り、守っていてくれるのだ、と。そして、死後の世界があり、死者の霊魂がたしかにあるというおもいこそ、宗教の起源だった可能性があります。 それはおそらく、人類が長い時間をかけてようやく手に入れた貴重な智恵なのです。この本は、そういう認識に立って、霊魂について論じています。
正木晃『いま知っておきたい霊魂のこと』(NHK出版、2013年)
それでもまだ、「死んだら何もかもなくなるから、最低限の費用で遺体を処理するだけでいい」と断言しますか?
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